Flaskを触り始めた頃、私はずっと引っかかっていました。
「これって、本当に“アプリ”なんだろうか?」
画面は表示される。
処理も動く。
でも、どこか スクリプトの延長 のように感じてしまう。
Djangoのような“完成された感じ”と比べて、Flaskはどうにも頼りなく見えました。
当時の私は、その違和感をうまく言葉にできませんでした。
「自分の理解が足りないだけなのか」
「Flaskを選んだのが間違いだったのか」
そんなことを考えながら、何度も立ち止まっていました。
今なら分かります。
Flaskが「アプリっぽく見えなかった」のは、私の感覚がズレていたからではありません。
“アプリっぽさ”を、機能や見た目で判断しようとしていた
それが一番の原因でした。
この記事では、かつての私が説明できなかった
- Flaskを「アプリっぽくする」とはどういうことか
- 何が足りなくて、何は後回しでよかったのか
- なぜFlaskは最初から“完成していない”のか
について、今なら言葉にできる形で整理してみます。
もしあなたが今、「Flaskで作っているのに、アプリを作っている感じがしない」と感じているなら、その違和感は間違っていません。
むしろ、次の段階に進もうとしているサインです。
当時の私は「Flaskがアプリに見えなかった」
公式チュートリアルを見ても、ピンとこなかった
Flaskの公式チュートリアルを一通り触ったとき、正直な感想はこうでした。
「……動くけど、これで終わり?」
app.py に数行書くだけで画面は表示される。
ルーティングも分かる。
HTTPリクエストがどう処理されているかも、なんとなく理解できる。
でも、その先が見えませんでした。
- ファイルは1つだけ
- 構成も最小限
- 「アプリとして育てていく感じ」がしない
どこをどう広げればいいのか、何を足せば「アプリ」になるのかが分からなかったのです。
今思えば、これはFlaskが悪かったわけではなかったんだと思います。
ただ、私の中に「アプリとはこういうもの」という無意識のイメージがあっただけでした。
「Djangoのほうが正解なんじゃないか」と思っていた
同じ頃、Djangoも少し触っていました。
Djangoには、最初から
- 管理画面がある
- 認証の仕組みが用意されている
- プロジェクト構成も決まっている
という「完成された感じ」がありました。
だから自然と、こんな考えが頭をよぎります。
「最初からここまで揃っているなら、Djangoを使うほうが“ちゃんとしたアプリ”になるんじゃないか?」
Flaskは自由すぎる。
軽すぎる。
その分、頼りなく見えました。
当時の私は、少なくとも自分の中では “アプリっぽさ”=“最初から用意されている機能の多さ” だと思い込んでいたのだと思います。
もしこのあたりで、「あ、それ自分も思ってたかも」と感じたなら、たぶん感覚は近いです。
ここまでが 「当時の視点」 です。
次のセクションでは、この違和感の正体がどこにあったのか、そして 何を勘違いしていたのか を、今の視点で整理していきます。
「アプリっぽさ」は機能の量じゃなかった
ここまで書いてきた違和感は、Flaskそのものというより、私が「アプリ」をどう捉えていたかに原因がありました。
当時の私は、無意識のうちにこんな基準で「アプリっぽさ」を判断していたと思います。
- 最初から機能が揃っているか
- ログインや管理画面があるか
- それっぽい構成になっているか
でも今なら、それは“完成度”の話であって、“アプリらしさ”そのものではなかったと分かります。
私が勘違いしていた「アプリっぽい」の正体
「アプリっぽい」という言葉を、当時の私はかなり雑に使っていました。
- 画面が多い
- 機能が多い
- 見た目がそれらしい
そういうものを、まとめて「アプリっぽい」と呼んでいた気がします。
でも、どれもよく考えると後からいくらでも足せるものです。
それなのに当時は、「最初から揃っていない=アプリじゃない」ような感覚でFlaskを見ていました。
今振り返ると、「作り始め」と「完成形」を、同じ場所で比べていたのだと思います。
今なら分かる「アプリっぽさ」の正体
今の私が考える「アプリっぽさ」は、もう少し地味なところにあります。
それは例えば、
- 状態をどう持つか
- 処理の役割が分かれているか
- 後から機能を足せる余地があるか
といった部分です。
見た目や機能の多さよりも、「この先も育てられそうかどうか」のほうが、ずっと大事でした。
Flaskは、最初は何も揃っていないように見えます。
でもその分、
- どこに何を置くか
- どう分けるか
- どこまでを今やるか
を、自分で考える余地があります。
それが当時は不安でしたが、今ならそれが Flaskの強みだった と分かります。
だから最初は「物足りなく感じて正常」だった
Flaskを触り始めたときに感じた
- 物足りなさ
- 頼りなさ
- 本当にこれでいいのか、という不安
は、決しておかしな感覚ではありませんでした。
むしろ、
「このままじゃ足りない気がする」
と感じられたこと自体が、「次に何を考えるべきか」に気づき始めていた証拠だったのだと思います。
当時の私は、その違和感を「失敗かもしれない」と受け取っていました。
でも今なら、それは「考える段階に入った合図」だったとはっきり言えます。
ここでいったん、Flaskに対する見え方が変わってきます。
次のセクションでは、なぜFlaskが「ただのスクリプト」に見えてしまいやすいのか、そして 私が実際にどこでつまずいたのか を書いていきます。
Flaskが「ただのスクリプト」に見えてしまう理由
Flaskを触っていて、私が一番引っかかっていた感覚はこれでした。
「動いてはいるけど、 これってスクリプトを書いているだけじゃないか?」
この違和感は、Flaskを触ったことがある人なら一度は感じたことがあると思います。
最初は全部 app.py に書いていた
当時の私のFlaskアプリは、本当にシンプルでした。
- ルーティング
- 処理の中身
- データの扱い
全部、app.py に書いていました。
公式チュートリアルもそんな感じですし、小さく試す分にはそれで何も困りません。
実際、
- 画面は表示される
- フォームも動く
- 処理もちゃんと走る
「できている」と言えば、確かにできていました。
動くけど、「これ以上広げられない」感覚があった
ただ、少しだけ機能を足そうとすると、急に手が止まります。
- ここに書いていいのか分からない
- 既存の処理を触るのが怖い
- 1つ直すと、別のところが壊れそう
コードはまだ短いのに、触る心理的ハードルだけが、どんどん上がっていく。
このとき感じていたのは、
「このまま機能を足していったら、 いつか自分でも分からなくなる」
という不安でした。
今思えば、「スクリプトっぽく見えた」のはFlaskのせいではなく、 構造を考えないまま書き足していたから だったのだと思います。
「書ける」と「育てられる」は別だった
当時の私は、
- 動けばOK
- 書ければOK
という基準で、「できた・できていない」を判断していました。
でも、実際に困り始めたのは「育てようとした瞬間」でした。
- ファイルを分けたい
- 処理の役割を整理したい
- 後から見返しても分かる形にしたい
そう思ったとき、「どこから手を付ければいいか分からない」状態になっていたのです。
Flaskは、「こう分けなさい」とは教えてくれません。
だから最初は、書けているのに、進んでいる感じがしない という不思議な状態になります。
この違和感は「設計を考え始めたサイン」だった
今なら、はっきり分かります。
Flaskがスクリプトに見えていたのは、私がまだ
- 役割で分ける
- 境界を意識する
- 後から変える前提で考える
という視点を、持っていなかったからでした。
逆に言えば、
「このまま書き足していい気がしない」
と感じた瞬間こそが、「設計を考え始めるタイミング」だったのだと思います。
当時の私は、その違和感を「自分の実力不足」だと感じていました。
でも今なら、それは次の段階に進もうとしていたサインだった と受け取れます。
ここまでで、
- なぜFlaskが物足りなく見えたのか
- なぜスクリプトの延長に感じてしまったのか
が、少しずつ整理できてきたと思います。
次のセクションでは、この状態から 「Flaskがアプリになった瞬間」――つまり、私の中で何が変わったのか を書いていきます。
Flaskが「アプリ」になった瞬間
Flaskを触り続けていて、ある日、はっきりとした変化を感じました。
「これはもう、 ただのスクリプトじゃないな」
そう思えた瞬間がありました。
それは、新しい機能を入れたときでも、画面を増やしたときでもありません。
役割ごとに分けたとき、景色が変わった
最初に変えたのは、とても地味なところでした。
- ルーティングと処理を分ける
- データに関わる部分をまとめる
- 画面まわりの処理を切り出す
つまり、「何をどこでやっているか」を意識し始めた だけです。
すると、不思議なことが起きました。
- 新しい機能を足す場所が自然に決まる
- 既存のコードを触るのが怖くなくなる
- 「次に何をすればいいか」が見える
コードの量は、ほとんど変わっていません。
でも、頭の中の見え方だけが、はっきり変わりました。
ログインやDBは「後回し」で正しかった
よく見ると、この時点でも私は、
- 本格的なログイン機能
- 複雑なDB設計
- 本番運用を意識した構成
といったものは、まだ入れていませんでした。
でも今なら、それでよかったと思っています。
最初から全部を詰め込もうとすると、どうしても
- 分からない部分が増える
- 立ち止まるポイントが増える
- 「アプリ感」を掴む前に疲れる
という状態になりがちです。
Flaskの場合、「アプリっぽさ」は、完成形で判断するものではなく、 育てる過程で感じるもの でした。
「作れる」より「続けられる」感覚が出てきた
この頃から、Flaskで書くコードに対する感覚が変わってきました。
- 書けるかどうか
ではなく - 続けられるかどうか
で考えるようになったのです。
- 明日も触れるか
- 1週間後に見返して理解できるか
- 少しずつ手を入れていけそうか
そういう視点で見ると、役割を意識して分けたFlaskの構成は、とても扱いやすく感じられました。
このとき初めて、「Flaskでアプリを作っている」という感覚が、自分の中にしっかりと生まれました。
Flaskは「完成させる」より「育てる」道具だった
ここまで来て、Flaskに対する印象は完全に変わりました。
Flaskは、
- 最初から完成されたもの
ではなく - 自分の手で育てていく前提の道具
だったのだと思います。
だからこそ、
- 物足りなく感じる
- どう広げればいいか迷う
- 正解が見えなくて不安になる
という感覚が、最初に出てきます。
でもそれは、向いていないサインではなく、 考え始めているサイン でした。
ここまでで、
- Flaskがなぜ頼りなく見えたのか
- どのタイミングで「アプリ」になったのか
が、だいぶ整理できてきたと思います。
次のセクションでは、FlaskとDjangoを比べながら、
- どちらが正解か
ではなく - どういう場面で、どちらを選ぶと楽か
という視点で、私なりの判断基準を書いていきます。
Flaskは「最初から完成していない」だけ
ここまで来て、Flaskに対する見え方はかなり変わりました。
同時に、Djangoとの違いも、以前とはまったく別の角度で見えるようになりました。
Djangoは「完成品」、Flaskは「素材」
今の私の感覚では、この表現が一番しっくりきます。
- Djangoは 完成品に近いフレームワーク
- Flaskは 素材に近いフレームワーク
Djangoは、最初から
- 認証
- 管理画面
- プロジェクト構成
といったものが、一通りそろっています。
だから、
- 何を作るかがはっきりしている
- ある程度の規模を想定している
場合は、とても心強いです。
一方、Flaskは、
- 何も決まっていない
- 何も用意されていない
ように見えます。
でもそれは、「足りない」のではなく、「決められていない」だけでした。
「どちらが正解か」で悩まなくてよかった
以前の私は、「FlaskとDjango、 どっちが正解なんだろう?」と、ずっと考えていました。
でも今なら、この問い自体が少しズレていたと分かります。
正解は、
- どちらを選ぶか
ではなく - どんな状態の自分が、どちらを使うか
でした。
- 最初から枠があったほうが安心なとき
- まず小さく考えたいとき
- 途中でやめる可能性があるとき
その時々で、「楽な選択」は変わります。
私がFlaskを選び続けている理由
それでも私が、Flaskを使い続けている理由ははっきりしています。
- 小さく始められる
- 途中で止めても破綻しにくい
- 構造を自分で考えられる
特に、
「まだ完成形が見えていない状態」
では、
Flaskのこの性質が、とても助けになりました。
Djangoのように、最初からすべてを理解しなくても、必要な分だけ前に進める。
これは、学習でも実務でも、かなり大きな違いでした。
Flaskを選んだことは「間違い」ではなかった
当時感じていた、
- 不安
- 物足りなさ
- これでいいのか、という迷い
は、
フレームワーク選びの失敗ではありませんでした。
むしろ、
- どう作りたいか
- どこまでやりたいか
- 何を後回しにするか
を考え始めていた、自然なプロセスだったのだと思います。
今振り返ると、Flaskを選んだこと自体よりも、
Flaskを通して「考える癖」がついたこと
のほうが、ずっと大きな意味を持っていました。
ここまでで、
- Flaskがアプリに見えなかった理由
- どこで見え方が変わったのか
- Djangoとの違いをどう捉えればいいか
が、一通り整理できました。
最後に、これからFlaskを触る人に向けて、一番伝えたいことだけを書いて締めます。
これからFlaskを触る人へ
ここまで読んでくれた方の中には、もしかすると今も、
- Flaskが物足りなく感じている
- 本当にこのまま進んでいいのか不安
- 「アプリを作っている感覚」が持てない
そんな気持ちを抱えている人がいるかもしれません。
かつての私も、まったく同じところで立ち止まっていました。
「アプリっぽくならない」と感じたら、正常です
Flaskを触っていて、
「これ、アプリって言っていいのかな?」
と感じるのは、決しておかしなことではありません。
それは、
- 何を足せばいいかを考え始めている
- このまま書き足すのは怖いと感じている
- 「構造」という言葉が気になり始めている
という状態だからです。
つまり、ただ動かす段階を抜けつつあるということだと思います。
最初から目指さなくてよかったこと
今振り返ってみて、最初から無理に目指さなくてよかったと思うのは、
- 完璧なディレクトリ構成
- すべて入りの認証機能
- 本番運用を前提にした設計
でした。
それらは、「アプリっぽさ」を感じてからでも遅くありません。
むしろ最初は、
- どこに何を書くか
- どこで分けると楽になるか
- 何を後回しにできるか
を、自分なりに考える時間のほうが、ずっと大事でした。
Flaskは「答えをくれない」から、育てやすい
Flaskは、「こう作りなさい」とは教えてくれません。
だから最初は、
- 不安になる
- 正解が分からなくなる
- これでいいのか迷う
ことが多いです。
でもその分、
- 自分で考えた判断が残る
- なぜそうしたかを説明できる
- 次にどう直せばいいかが見える
という経験が積み重なります。
それが結果的に、「アプリを作る感覚」 を育ててくれました。
当時は説明できなかったけど、今なら言えること
Flaskが「アプリに見えなかった」のは、フレームワーク選びを間違えたからではありません。
- 作り始めと完成形を比べていた
- 機能の多さで判断しようとしていた
- 育てる前提で見られていなかった
それだけのことでした。
今なら、はっきり言えます。
Flaskは軽いのではなく、最初から“育てる前提”で作られている
だからこそ、
- 物足りなく感じる
- 迷う
- 考え込む
その全部が、自然なプロセス でした。
迷った時間は、無駄じゃなかった
もし今、Flaskを前に立ち止まっているなら、その時間を「遠回り」だと思わなくて大丈夫です。
私自身、当時は説明できなかったことが、今になってやっと言葉になりました。
その差分こそが、この記事のすべてです。
まとめ
- Flaskがアプリに見えなかったのは自然な感覚だった
- 「アプリっぽさ」は機能の量ではなく、育てられる構造
- スクリプトに見えた違和感は、設計を考え始めたサイン
- Flaskは完成品ではなく、育てるための道具
もしこの記事が、あなたの中にあった違和感を少しでも言葉にできていたなら、それだけで十分だと思います。
